回顧録 その2

昨日は店の移転を決めた所まででしたね。

当時は有り余る新工場の一部をラジコンのコースとして

造り上げて、コースの2階には

ラジコンをメンテナンスするスペースと試運転コースがありました。

事務所では

ラジコン本体やスペアパーツを並べて販売してましたね。

事務所内の雰囲気も今とはだいぶ異なります。

 

デモカーをもう一台

FC3C RX-7で製作し

ATからMTへの換装と公認を取りました。

このGTウイングのまま車検場に出向いたところ、車幅がギリで足らなくて

ステーを短くして車検通過。

パールホワイトで再塗装までしたので、かなり良い感じに仕上がり

オープンのチラシには3台のデモカーを載せました。

 

これで新店舗での営業が始まるのですが、その1か月後

そう、あのリーマンショックが起こり、景気はガタ落ちに。

 

スタッフが2人立て続けに辞めて行き、なんとなーく重苦しい雰囲気になり

工場内も、今では考えられないほどガランとしてました。

 

結局インプレッサとRX-7のカブリオレを手放し、店の運転資金に回し

デモカーもBNR34はもう古いと判断し

R35 GT-Rを購入する頭金として手放しました。

取って置けば今頃とんでもない価格になっていたかもしれませんが

店は潰れていたかもしれません。

 

デモカーとしてR35を導入したことで、不思議とZ33やZ34の仕事が入る様になり

そこで出た利益でR35のECUセッティング機材を買う事に。

この時、プライベート時代から雲の上の存在として尊敬していた

NEKOコーポレーションの金子社長に

初めて仕事として機材購入の話を電話したのですが

電話を持つ手が震えてしまって、上手くダイヤルボタンが押せなかったのを覚えています。

 

「愛知県の片田舎でR35のセッティングなんかするのか?」

と言われ

「はい、やりたいです!」

と答えると

「分かった」

と言って、わざわざ岡崎の店まで金子社長自ら納品してくれました。

 

ガランとした工場内を見て

「こんだけ広いなら、エンジンを組み立てる部屋を造れ」

と言われましたね。

 

最初は意味が分からなかったのですが

「きちんとした部屋でエンジンを組むのか

 オイルまみれの床でエンジンを組むのか

 お客はちゃんと見てるぞ。」

今では、ラジコン関連の設備をすべて撤去して

エンジン組み立て室とCPUルームが出来たのは、この一言からなんです。

 

ECUセッティングの機材は手に入れた物の

実際にセッティングを進めて行くと、R35の速さに

「免許の点数、どんだけあっても足らんわ」

と言う事で

納品されました。

しかし、この時、リーマンショックからは立ち直っていた物の

311の地震発生直後で世の中は自粛真っただ中へ突入して行きます。

 

不安と言えば不安でしたが、それまでの経験上

「ピンチの時に立ち止まらなければ、なんとかなる」

と自分なりの信条を持てていたので

デモカーのR35をドンドンチューニングし、少しづつですが知名度を上げつつ

とにかくセッティングの技術を独学で勉強し続けました。

 

R35購入後、すこし経ってから始めた

ドリフトの影響もあって

お店には色んなクルマが来てくれるようになりました。

まあ、ちょっと慣れてきたころに

こうなりましたけどね。

その後はルージュピンクに全塗装して、しばらくドリフトも楽しんでました。

 

気が付くとR35で店内が溢れるようになり

新たにデモカーとして導入したZN6 86でも過給機チューンでそれなりに結果を出せるようになると

新規のお客様が1年500人単位で増えるようになり始め

今では常に作業待ちが発生してしまうような状況にまでなりました。

 

作業をお待ち頂いている方には大変申し訳ない事なのですが

過去を思い出すと、今のこの状況を喜んでしまう自分がいます。

 

現状に甘えず、常に新しい事にチャレンジしつつ

今まで培ってきた技術もなおざりにしないよう、これからも日々精進して行きます。

 

応援、よろしくお願いします。